第二十五章「神話が謳う夢」
グランドオープニング 〜神話が謳う夢〜

“彼”は夢を見る。

幾年。幾百。幾千年振りの夢であったろうか。
そこは緑あふれる美しき豊穣の大地。
蒼穹の青空が世界を包み、楽園と呼ばれるに相応しい壮観なる光景。
この世界エル=ユーナの創生暦時代の記憶。
豊穣あふれるこの大地は一つの大樹により支えられていた。
それは無限に広がる宇宙の中に根付いた世界を支える大樹。
しかし、その大樹がある一人の少女から生まれた世界である事を知る者は
今の歴史においてほとんど存在しないだろう。

少女の名はエルドラシル。

世界そのものであり、世界を支える神。
万物の根源にして理を生み出せし少女。

彼女は眠る。世界を支える大樹の中枢“揺り篭”にて静かに眠る。
彼女はここを動かない。動けない。

彼女の存在によって世界は支えられ、エル=ユーナは存続している。
故に彼女は世界でありながら世界の姿を知らず、見ず、聞く事も無い。
ただ存在しているだけ。

されど世界にいる誰一人彼女を知らず、見ず、存在を認知出来ない。
世界樹の中枢。
世界樹が支える大地よりも尚、美しき緑があふれるその地に彼女は優しい微笑みを浮かべ眠っていた。
それは“彼”に取って生涯忘れる事の無い、美しい光景であった。

◆   ◆   ◆

――創生暦700年 世界の中心・聖地アルアデック“神の塔(エンピレオ)”
それは小さな波紋であった。

“彼”にとっては父と彼女以外で初めて見るであろう純血なる神。
銀色の髪を靡かせるそれは――――

「…驚いたな。まさか閉鎖されたこの世界で私以外の
“純粋種”と出会えるとは予測も付かなかった」

それは血の様に紅い真紅の髪。
身に纏うのは純白を模した神々の衣装。
この世界エル=ユーナを統治する純血種の神クレイムディア。

「名を聞いてもよいかな?」

大いなる統治神は己が支配する世界にて降り立った自分以外の純血神を前にそう問いを投げる。
問われた神は微笑みを浮かべ、静かにその問いに答える。

「イシュタル。貴方のように統治するべき世界を持たず
ただ星の海を渡り歩くただの太古の神の一人だよ」

イシュタルと名乗ったその神のそんな自己紹介にクレイムディアは久しく笑みを漏らす。

「そうか。私と同じ“ただの神”か。いや、しかしこうして私以外の純粋種と邂逅するのは初めてだ。
私の退屈と怠惰の人生の中で最も喜ばしい事かもしれぬ。
私の名はクレイムディア。この世界唯一の神にして神王の称号を持つ者だ」

イシュタルと名乗った神に対し、クレイムディアは自らもまた名乗り返した。

神同士の対話。
それはこの長い歴史を持つエル=ユーナにとって最初で最後の偉業であっただろう。
二人の神は久しく語り合う友人のように会話を交わした。

それは神と呼ばれる者同士の対話とは思えないほど、恐ろしく日常的で恐ろしく陳腐な内容であった。

「…それにしても、この世界は変わっているな。
私も様々な世界を見て来たが、どうやらこの世界には
この世界でのみ存在する特別なルールやシステムと言ったものが存在するな」

「ほぉ、分かるのか」

イシュタルが漏らしたその言葉にクレイムディアは興味深い瞳で彼を見つめ、先を促す。

「察するに…この世界の大地は樹になる“実”のようなものであり
この世界を支えるシステムは“枝”であり“葉”のようなもの。
であれば、それら全てを生み出し支える樹の根源“根”に該当する存在がいるのでは無いのかな?
そしてそれは恐らく、貴方では無い」

イシュタルのその発言にクレイムディアは久しく笑い声を上げ、顔を背ける。
これほど自分に対して憚りなく対等にそして事実を突きつけた者は初めてであったからだ。

「はっはっはっ、イシュタル。君は英知に飛んだ神だな。
然り、この世界はまさしく樹であり、それを支えるのは一人の小娘だ。
無論、その小娘も我らと同じ純粋種であり、その証となる“理”を有している。
だが生憎と私は興味も無いので会った事はないのでな」

自らの息子にすらこれほど長く語った事すらなかった神王が
これほどまでに饒舌に語ったのは後にも先にもこの時だけであったろう。

「そして、それが故にこの世界は他の世界には無い法則により縛られている。
その少女が持つ“理”が存在し続ける限り、この世界は未来永劫において存在し
存在し続けるための手段としてそう言った“世界システム”と呼ばれる
半永久的な自己再生・自己修復・自己進化が行なえるのだ」

そこには神という存在がいなくとも世界が半永久的に存続できる由縁があった。

「中でも“無限回帰”と呼ばれるシステムが忌々しいほどに素晴らしい。
これはこの世界で死した魂がイデアの海と呼ばれる魂の海へと運ばれる。
死したる魂は海の一部となり溶け合い混ざり合う。
そして世界を育む生命が生まれる際には、この中から新たなる命が汲み上げられる」

「…ふむ」

イシュタルは目の前の神が言わんとする事をすでに理解していた。
それはつまり魂の永遠。
この世界に存在する種が未来永劫において永遠に持続し続けるという事。

イデアの海と呼ばれる場所は一定上の量を確保しているという事。

もし仮に世界中に存在する全ての生物が絶命する事があっても
その世界システムとやらでイデアの海にて確保している魂を使い、
再び世界に魂を持った生物を生み出す事ができる。

そしてそれは恐らくイデアの海に“記憶されている通り”に
かつて存続した全ての種をそのまま再現させていく。

たとえ何らかの要因により全人類が死滅しようとも何万年かの新たなる時代には再び
“前と同じ人類の時代”が生まれるという事。

それはまさにこの世界が永遠であるための最高位のシステム循環。
同じ神とは言え、自らよりも遥かに優れた理を持ち、それに順ずるシステムを生み出す少女と
世界システムとやらは確かに羨望と嫉妬を覚えさせる。

「だがまぁ、そのためにあるデメリットも生まれる。
それはいわば全ての歴史が同じような繰り返しの歴史になる事だ」

「…なるほど。例えば最初の人が争いといった罪を犯せば
その罪をイデアの海とやらは記憶して
以降に生まれる全ての人間は同じように争いと言った罪を犯し続ける」

「然り。そしてそれは“次の時代”にも反映される」

それはまさに完璧であるが故に欠陥。
永遠を求めるあまり、世界は罪や失敗と言った過ちさえも永遠に再現し続ける。

「イシュタルよ。こうして我ら神が邂逅できたのだ。
一つ、君と約束を交わしても良いだろうか」

「何だろうか、是非言って欲しいな」

「この先の未来において私が“何らかの理由で滅び”
なおもこの世界が存在し続けていたのであれば、この世界は貴方にあげよう」

それはまるで玩具を渡すような感覚。
この世界の黎明期においてすでに神王は自身が管理する世界の譲渡を
星の神へと渡していた。

「それはまたありがたい事だ。私は星を渡る神故に自身の世界を持たなかった。
貴方がこの星をくれると言うのなら私は喜んで受け取ろう」

「だが、一つ条件がある。その時はこの世界に存在するシステムを崩壊させて欲しい」

「理由を聞いても?」

「先にも言った通り、この世界のシステム“無限回帰”が存在する以上
私が死した際、我が魂は原初の空間へも帰還せず、この世界の牢獄へと閉じ込められ交わる。
のみならず、この先の未来にて生まれる魂や世界の構成の一部として
我が魂が使われ続ける事は想像するだけで怖気が走る。
魂となればそこに我が意志が無くともそんな眼に見えた我が魂の末路は余りに見るに耐えぬ」

それはこの世界を支配する神の言葉とはおおよそ思えない
自らの存在を絶対と信じて疑わない言葉。そこに乗る感情はただ一つ。

“傲慢”

神王は自身が純血の神であり、この世界を統治するに相応しき存在であると信じて疑っていない。
無論それは神と言う条件においては揺ぎ無い証であり
だからこそ神王は神でありこの世界を統治するに相応しいと言える。

だが、だからこそ神王に取ってこの世界のシステムの一部となる事。
そして自らが統治し、支配している民や人間共と“同じ牢”に入る事は
これ以上無い苦痛であり、辱めである。

故に神は神たる尊厳に賭けて、決して人と同じ領域に堕ちてはならない。
それは例え死した後であろうとも。己が魂が消えようとも。

「よかろう。貴方のその末路。確かに同じ神としては余りに哀れ。
もし私が再びこの世界に降り立ち、その時に貴方が滅びていたのならば
契約に順じこの星は私がもらおう。
ただし、その代償としてこの世界に存在するシステム“無限回帰”の法則と理は必ず壊そう」

「感謝しよう。イシュタルよ」

神王との誓い、約束を交わし星王は静かにその場より歩き出す。

その時、イシュタルはクレイムディアの玉座の向こうに見える牢獄に目が止まる。
否、それは瞳を奪われたのだ。牢獄の向こうにて鎖に繋がれた一人の獣の姿に。

そこにいたのは漆黒の髪を持つ14、5の少年。
美しく透き通るような白い肌。神が持つ金色の瞳の中でも尚も輝きを放つ黄金。
だがその全身ことごとくを傷つけられ四肢に穿たれているのは神の鎖。
にも関わらずその瞳の何と鮮やかな事。
まるで全てを憎み、嫌悪し、破壊したいと願う少年の内面全てが映し出されていた。

これほどまでに美しくそして醜悪な存在をイシュタルは見たことが無かった。
僅かに恐怖と同時に覚えるのは憧憬。

「――クレイムディア。あの向こうの牢にいるのは何者かな。
その内に神の血を感じるが」

「ああ、あれは私の息子だ。
人間との間に産ませた我が血筋を引く者。名をアルトサウディウスと言う」

「なるほど、道理で」

言ってイシュタルはその牢の前まで歩いて行き、少年の瞳を覗く。
だが相手に取ってこのように上から覗き込まれる事は余程の不快だったのだろう。

イシュタルは自身の腕に鋭い痛みが走るのを覚える。
見るとその腕に走るのは一筋の傷。同時に斬られた箇所が徐々に石化をしていく呪いが込められてい
た。

イシュタルは知らず内に笑みを漏らした。
四肢を封じられ、ただ眼光のみで目の前の少年は神たる自分の身を傷つけ、呪いさえも打ち込んだ。
イシュタルは即座に呪いに侵された腕を切り捨て即座に消滅させる。

「獣だな。だが美しい獣だ」

自らの腕を奪った相手に対し、イシュタルただそう評価した。

「すまないな、イシュタルよ。息子が粗相をして。
後でよく言い聞かせる故とりあえずは離れた方がいいだろう。
それは獣だ。私の言う事も何も聞きはしない。ただ己の欲望のみで動く事しか知らない」

言ってクレイムディアは軽く手首をひねり、アルトサウディスを拘束する鎖に己の力を注ぐ。
それだけでアルトサウディスの肉体を縛り、穿つ鎖が更に深く食い込み、その身を真紅に染め上げる。

だがそんな痛みなどまるで感じていないように
少年はただ飢えた獣のような瞳でイシュタルと父であるクレイムディアを睨んでいた。

「羨ましいよ。クレイムディア。貴方にはすでに貴方を超越する存在がいる。
つまり貴方にはすでに自分の終わりを“用意してある”」

イシュタルが言った言葉にクレイムディアはあえて答えなかった。
否定もせずにただ受け入れた。そして口を開いたクレイムディアが答えたのは別の事であった。

「それよりも君の腕の方は大丈夫なのかい?
切り落としたはいいが、君は再生能力は持ち合わせているのか」

「それならば問題は無いよ。“換え”なら幾らでもある」

そう言って見せたイシュタルの傷口を見て、クレイムディアは得心する。
仮にも同じ神である彼に傷の心配をすること自体、侮辱であったとさえ思う。

「さて、それでは私はそろそろ行くとするよ。
星を巡るのが私に刻まれた本能であるならば、次の星に向かわねばならない」

無論それだけではなく、星王には為さねばならぬ目的が一つある。
それをクレイムディアも理解してか、別れの言葉を交わす事なく両神は別れる。

双方ともにこれが互いに取って最後であると理解していた。

そんな光景を“彼”は通路の奥でずっと見ていた。

やがてこの世界より旅立とうとするイシュタルが神王の間より出て
通路を歩いた矢先に“彼”と邂逅をする。

「…おや」

それはクレイムディアと同じ真紅の髪を持った少年。
年頃は先程見たアルトサウディウスと同じくらいだろうか。

だがこの少年にはあのアルトサウディウスにあった悪性の欠片も無く。
あるのはただ静かな全てを包み込むような、まるで平原を揺らす凪のような心地良さ。

「君もクレイムディアの息子かい?」

即座に感じた神の気配に対しイシュタルはそう問うた。

“彼”は父と同じ純血の神に気圧される事無く、真摯な眼差しを向け答える。

「はい、そうです。アルトサウディウスとは双子の兄弟で、僕は兄にあたります」

「そうか。だが君の心は美しいな。あのアルトサウディウスという獣は
欲望と言う一種の色にのみ染まる美しい獣であったが
君のように魂の底まで透き通るように純粋な存在もまた美しい」

イシュタルには感じていた。
この少年の中にある脆く純粋な感情を。

それは無条件に全てを愛する心。
そう“彼”は世界の全てを愛している。

善人も悪人も咎人も聖人も全てを平等に愛する者。
だが同時にそれがこの者の脆さであり

“彼”では決してこの世界の神とは成り得ぬ事も理解していた。

“彼”は神には向いていない。
平等な愛を持つ“彼”は統治し、人の上に立ち何かを決断し、生かし、そして殺す事が出来ない。
華々しく絶対にして確固たる意思。

傲慢故に絶対なる統治神として世界を総べる神・クレイムディアには成れない。
その後を継ぐことは出来ない事を。

彼に出来るのは恐らく世界と人々の未来を無限に護り続け導くという影のような所業しか出来ない事。
それをイシュタルは見抜いていた。

「私の名はイシュタル。君の名を聞いてもいいだろうか?少年よ」

“彼”の本質をすでに見抜いたイシュタルは笑みを漏らし、ただ自身の興味を満たすためにその名を聞い
た。

そのイシュタルの本意を知ってか知らずか“彼”は問われた自身の名を答えた。

「僕は…、僕の名前は―――」

それは邂逅。
だが全てはここから始まった事を“彼”は忘れない。

「ファルナス。それが僕の名前です―――」



エスペランサー・セイバー
〜星の伝承記・第二幕〜


“彼”は夢を見る。


それはかつての自分の過ち。
見過ごした故に犯した罪の数々。
決断を出来なかった日々。
影として過ごしたあの時間。

“彼”は夢の中で思う。

自分はそれでも、この世界と出会ってきた全ての人が―――好きだと言う事を。

 
戻る